| 豚 |
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豚は極端に愛憎表裏をなす二面価値の関係を一般的に持たれています。
軽蔑や罵倒する意味で用いられることがあれば、かわいいといった愛されるキャラクター的存在価値として
扱われることもあります。ユダヤ教やイスラ−ム教の世界では不浄のものとみなされます。一方で中国では、
富の象徴ともされているように、世間のイメージはアンビバレントな価値感情が色濃く映し出されています。
私はこのような一般的価値感情を排した豚を媒体とし制作、発表を続けています。
私の生家は群馬県で養豚場を営み、私は幼少から現在まで自然と豚と触れ合っています。
作品の発表への衝動となった豚は養豚場という子供時代からの記憶と環境から豚が無意識に存在したためであります。
この記憶を芸術表現へ意識することを試みています。
商品として扱う豚は量産するには最高に効率がよく、消費者が知ることのない様々な工程を経ます。薬剤を用い、
種付けを繰り返し、去勢を日々おこない、多くの作業が効率的に循環しています。
私は何百頭もの豚を飼育し生産していくことを見てきているため、商品として扱う養豚場の豚にペットとしての
愛憎のような感情はもっていません。これらの現実の養豚場の有りようは世間が描く罵倒や愛くるしいなどの豚の
イメージとは違った面をもっています。
実際に映し出されるのは糞と鉄の檻が入り混じった臭い、埃の臭い、糞に寄ってくる蝿、餌を求める獣の声
交尾させられる豚、ストレス防止のために切断された子豚の尾などです。冷たい臭気が漂う空気の中に日々、
豚が飼育されています。
私は、こうした子供時代からの見てきた豚の記憶と環境を芸術の表現媒体として扱い、私が描く豚の像は侮蔑や
愛らしいのような一般概念ではなく、養豚場の現実の世界です。
この世界から感じ取ったイメージから、人間の惰性をモデルにし、豚に投影しています。
それは、人間の生活を皮肉ったものです。その人間とは私自身の姿であり、自刻像として豚を描出しています。
私を媒体として描くよりも、他者を描いたほうが、自己の思想、自己を表出するのに都合がよい場合があります。
自分自身を描くときは見せたくない部分を隠してしまうからです。自己を他者に投影した時のほうが欠点
あるいは美点を自覚しやすいのです。他者を描くことは「私」を長時間かけて見つめ直し、自己と外界との接点、
自己省察を極限まで推進できるのではないでしょうか。このようなことから、私は自身の姿を豚に投影しています。
私は油画から始まり、版画、立体などさまざまな技法、手法を多用し、それとともにテーマが変化してきています。
しかしながら、媒体は一貫して豚に留め制作を続けています。 |
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| 修士論文2005『自刻像としての豚ー作品「un10」と研究報告書ー』より p.4序章 |
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